湯田温泉の伝説

私の爺さんも、そのまた爺さんにも、
ずーと昔からお気に入りの池があって、
その池からも湯気が立ち上っていたという。
その池が、この池なのだろうか…?
そう言えばこんな言い伝えを聞いたことがある。




老狐の伝説



 私が気に入っている「池」のある場所は「湯田温泉」という。
 田んぼからお湯が湧いていたことから、「湯田」と呼ばれるようになったらしい。
 
 ここからは、この池に伝わる伝説である。
 
 時は永正年間、1504年〜1521年の時代。時の領主は第三十世「大内義興」の頃、湯田にたった一つ「温泉山、竜泉寺」という真言宗の寺があった。
 
 この地は四方を山に囲まれる盆地。吹く風が肌を刺し、しんしんと底冷えがする夜のことだった。寺の中にある小さな池の畔に、小さな影がゆっくりと近付いてきた。
 
 「おやっ」と思った住職が、月明かりに照らし出された池の畔に目をこらすと、そこには思わぬ光景があった。
 ゆらゆらと揺れながら、地を這うように動いていた小さな影は、一匹の年老いた狐だったのだ。良く見ていると、その老いた狐は片方の足を痛めていて、痛めた足を池の中に浸けてじっとしていた。そして、夜明け近くになると、そっとどこかへ消えていった。
 
 次の夜も、住職が池の方を見ると、昨日の老いた狐が池の中に足を浸けていた。その次の夜も、そのまた次の夜も、年老いた狐は池の畔にあらわれては、痛んだ足を一晩中池の中に浸けていた。七つ目の夜があけた朝、年老いた狐はゆっくりといつもの方角へ消えていき、二度と戻ることはなかったそうだ。

 住職は年老いた狐が池に来なくなったことをたいそう残念がり、いつも老狐が消えていった方角を方々さがしてみた。すると、老狐は竜泉寺の北東の方角にある険しい山へ帰っていたことが分かった。そしてその山はかつての領主「大内弘世」が紀伊の国から「熊野三所権現」を迎えて祀った山だったそうな。
 
 住職は、ますます「これはただ事ではない」という思いを強くして竜泉寺に立ち返り老狐が痛めた足を浸けていた池に手を入れてみた。すると、池の水は暖かく、深く掘り進むと、さらに豊かな温水が湧き出ていたのだという。  
 そして、住職の手に何か堅いものがあたったので引き上げてみると、土の中からあらわれたのは金色の薬師仏だった。
 
 住職は「これこそ仏のお導き」と声をあげて喜び、屋根を葺いて温泉をおおい、その傍らに仏堂を建立して薬師仏を安置し、この温泉を護る仏としたのだそうな。
 その話は周防の国中に広まり、多くの民が薬師仏を拝んでは温泉に入ると、不治の病も癒えて体と心の健康を取り戻したのだそうな。
 
 その後、薬師仏は二度の盗難にあい、再び竜泉寺に戻るが、竜泉寺は火事に見舞われて僧坊は焼け落ちてしまった。  
 竜泉寺は再建されることなく、住職もその地を去ってしまた。
 しかし焼跡には、一本の年老いた松と薬師仏を安置した「薬師堂」が火災を免れ、今日まで「湯田温泉の鎮守、薬師瑠璃光如来」として伝えられている。  




(参考)  この伝説は、かつての湯田温泉の元湯「野原湯」、現在の「湯別当野原」に伝わる「防州湯田村温泉記・荒巻大拙注」をもとに、分かりやすく書き直したものである。
 野原家には現在も「薬師堂と薬師仏」が安置されている。また、同じ敷地に460年の年月を経た今も続いている温泉旅館「湯別当野原」には、本仏から分霊された「薬師瑠璃光如来」が安置されている。




  老狐伝説、いかがだったかな。
  この伝説の池は、その後、湯田温泉の元湯となり、
  野原家が「野原湯」として管理することとなる。
  時代が室町から江戸時代に変わると、この温泉は
  毛利藩の湯治場とされ、「野原湯」は「湯別当」
  の役を拝命し、現在の「湯別当野原」に受け継が
  れている。
 
    「湯別当野原」の電話は083-922-0018。
    「湯別当野原」の公式サイトはこちら  
      電話をされた方が早いと思う。
 

お題  漂鳥かわせみ  温泉うんちく  毛利藩湯治場
かわせみの定宿  温泉の掛け流し  伝説の池・復活

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